土に唄えば
畑でネギの草取りをしていると、あっちの方から黒々した、いかにもな雨雲がこっちの方に異様な速さで迫ってきて、最初の一滴がポツっと一粒ぼくの鼻先ではじけ散り、この雨粒の大きさから、これはすごいのが来るぞと予感させ、草取りなんかもういいことにして立ち上がり、軽トラックに駆け込みかけたその一瞬、ダダダダダダと撃たれるように注ぎ降り、車の直前ではもうずぶ濡れで、そうとなると濡れない努力ももうしなくなり、それどころか完全に開き直って、もはや『雨に唄えば』のごとく濡れてる方が喜びで、ジーンケリーは嬉しいことがあったから傘をたたんで土砂降りを受け入れ、鼻歌交じりで傘をぶんぶんぶん回して踊っちゃっていましたが、ぼくはというとこの雨そのものが、これぞまさに僥倖というもので、努力では決してつかめない偶然の幸せのまさに真っ只中にいることを感じ、なにせ本当にいいタイミングで雨が降ってくれました。
去年のこの時期はそもそも梅雨も空降りで、延々降らない雨に野菜もぼくも参ってしまっていましたが、今年は梅雨もちゃんと降り、開けてからの暑さは尋常でないものの、そろそろ降ってくれたらこの暑さもかえって味方につけて夏野菜の成長に拍車がかかるんだけどなと思っていた矢先がこの雨で、まさにベストなタイミングでありました。
野菜というのはほとんどが水分で、だから成長のためには水が絶対必要で、肥料がどうだとか仕立て方がなんだとか、そういうことは水やりがちゃんとできた後の話であって、雨という現象に比べれば物の数ではありません。
この重要でたまらない水分と、どうにかうまく付き合っていきたいという方策に、有機農業に精をだす一つの理由があったりします。雨の降る降らないはこれはもうどうしようもなくて仕方なく、だけども運よく降ったその雨を適度に土にため込むことについては意外と努力が通じます。土壌というのは砂と粘土のグラデーションで土性が決まり、砂の割合が高ければさらさら水が流れてしまいせっかくの雨がもったいないし、だからといってぎちぎちの粘土だと降った雨がそのまま溜まり、植えている野菜が水没なんてしたら元も子もありません。だからその中間の土壌ならいうことなしだというわけで、つまり保水もするし、排水もするしの両性が欲しいのですが、これは一見矛盾しあちらを立てればこちらが立たずということになりそうですが、土壌の団粒化という構造がそれを見事に解決してくれて、つまりどういうことかというと、土の粒という小さい団子が集まってでっかい団子が出来上がり、でっかい団子が集まってさらにでっかい団子が出来上がるという構造で、この構造のミソは団子と団子のスキマが大小色々あるということで、スキマが水分子より大きければ排水するし、小さければ保水するというなんとも優れもので、野菜農家にとってこれは一つ、目指すべき土壌の性質で間違いないのですが、団子と団子をくっつけるのには微生物が関わっていて、微生物を増やすにはなんといっても有機物なので、だから有機農業というわけで、もう少し詳しくいきたいところですが、これ以上書くとどんどん文字サイズが小さくなるのでまた来週。
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